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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)2706号 判決 1987年11月27日

原告

武蔵貨物自動車株式会社

被告

大東京火災海上保険株式会社

主文

一  原告の請求原因をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1(一)  主位的請求

被告は、原告に対し、金一七〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年四月一七日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

(二)  予備的請求

被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和六一年三月二五日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  主位的請求

(一) 当事者

原告は貨物運送等を業とする株式会社であり、被告は損害保険を業とする株式会社である。

(二) 本件事故の発生

(1) 日時 昭和五九年一〇月二〇日午前一〇時一〇分ころ

(2) 場所 埼玉県富士見市水谷一丁目二〇番二号先路上

(3) 加害車 自家用普通貨物自動車(大宮四四と五九〇五号)

右運転者 小谷野和芳(以下「小谷野」という。)

(4) 被害者 工藤範子(以下「範子」という。)

(5) 態様 加害車が走行中、歩行していた範子に衝突した。

(三) 責任原因

原告は、加害車を自己のため運行の用に供していたものであるから、加害車の運行供用者として自動車損害賠償保障法三条に基づき本件事故によつて範子が受けた人的損害を賠償する責任がある。

(四) 損害

(1) 範子の受傷と治療経過

範子は、本件事故のために、左脛骨骨折、左腓骨骨折の傷害を受け、事故当日の昭和五九年一〇月二〇日から昭和六〇年一月二五日まで入院し、その後同年二月二八日まで同病院に通院し、更に通院を要する状態であつた。

(2) 範子の自殺

範子は、昭和六〇年三月二日午前三時ころ自殺目的で有機リンを含む毒物を飲用し、この結果、同月三日午前八時三四分死亡した。

(3) 本件事故と範子の自殺との因果関係

範子は前記傷害のため足が不自由になつたことから将来を悲観して自殺したものであり、本件事故と範子の自殺との間には相当因果関係がある。

(五) 原告の損害賠償額の支払

原告は、昭和六〇年三月一五日、範子の相続人代表である範子の夫工藤正之(以下「正之」という。)との間で範子の死亡による逸失利益、葬儀費、慰藉料等として金一七〇〇万円を支払う旨の示談契約を締結し、正之に対し、同日金一〇〇万円、同月一九日金一六〇〇万円を支払つた。

(六) 自動車損害賠償責任保険契約

被告は、内山自動車工業株式会社との間で、昭和五九年八月ころ、加害車につき、保険期間を昭和五九年八月七日から昭和六〇年九月七日までとする自動車損害賠償責任保険契約を締結した。

(七) 保険金請求

原告は、被告に対し、昭和六〇年四月一六日、本件事故の死亡保険金を請求した。

よつて、原告は、被告に対し、自動車損害賠償責任保険契約に基づき、原告が損害賠償として支払つた前記金一七〇〇万円及びこれに対する前記請求の日の翌日である昭和六〇年四月一七日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  予備的請求

(一) 示談交渉の経緯

本件事故発生後、原告の車両課長松原忠克(以下「松原」という。)は被告の所沢サービスセンター所長山県宣光(以下「山県」という。)、同係員黒田昌浩(以下「黒田」という。)、被告狭山支店支店長吉川宣彦(以下「吉川」という。)、同主任川久保勉(以下「川久保」という。)の指導、助言を受けつつ被害者側と損害賠償手続きを進めてきた。そして、原告は、被告に対し、昭和六〇年一月二一日、本件事故の保険金(治療費、看護料、休業損害等の分)を請求し、被告は、同年二月二八日、金一二〇万円を原告に支払つた。

(二) 被告の指導助言義務違反

(1) 一般に自動車損害賠償責任保険契約において、付随的義務として、保険者は被保険者に対し保険金請求権の認められる範囲について正確に指導、助言する義務を負う。仮に、被告において右範囲が不明のときは、事前認定制度を用いれば容易にこれを確認することができるものである。

(2) 原告は、昭和六〇年三月四日、範子が自殺したことを知り、直ちに、山県、黒田及び川久保に指導、助言を求めた。右三名は、原告の常務取締役高篠勝正(以下「高篠」という。)及び松原に対し、自動車損害賠償責任保険で認められる損害の範囲について、本件事故の場合、葬儀費金四五万円、逸失利益金一四九一万円、本人分慰藉料金二五〇万円、遺族慰藉料金六〇〇万円、合計金二三八六万円と積算されるので、死亡保険金限度額金二〇〇〇万円が本来認められるところだが、自殺という特殊事情のため、その半額しか認められないかも知れないが、残り半額の認められることは確実である旨、種々の資料を示して助言した。

(3) 高篠及び松原は、右助言のため、原告が正之に示談金を支払つた場合には少なくとも金一〇〇〇万円は自動車損害賠償責任保険から回収できるものと信じた。

(4) 高篠は、正之と示談交渉の都度、山県、黒田及び川久保に交渉経過を報告し、指導、助言を求めたところ、右三名は、示談取り交わしに至るまでの必要書類を教え、被告所定の死亡保険金請求のための書類(委任状、親権行使の念書、戸籍謄本取得の承諾書、示談書、示談金領収書)を原告に交付し、原告は、右書類を用いて、昭和六〇年三月一五日、正之と示談契約を締結し、前記のとおり、示談金一七〇〇万円を支払つた。

(5) 原告は、前記のとおり、被告に対し、死亡保険金の支払を請求したが、被告は、自殺と事故との間に相当因果関係がないとの理由でこれを拒絶した。

(三) 原告の損害

以上のとおり、原告は、被告の指導、助言により、少なくとも金一〇〇〇万円は自動車損害賠償責任保険から回収ができるものと信じて右示談金を支払つたものであるところ、回収不能となり、同額の損害を被つたものである。

よつて、原告は、被告に対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、右損害金一〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六一年三月二五日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  主位的請求について

(一) 請求原因(一)ないし(三)の事実は認める。

(二) 同(四)の事実について、(1)のうち、範子が原告主張の傷害を負つたことは認め、その余は不知。(2)のうち、範子が自殺したことは認め、その余は不知。(3)は否認する。

(三) 同(五)の事実は認める。

(四) 同(六)、(七)の事実は認める。

2  予備的請求について

(一) 請求原因(一)の事実について、原告が、被告に対し、昭和六〇年一月二一日、本件事故の保険金(治療費、看護料、休業損害等の分)を請求し、被告が、同年二月二八日、金一二〇万円を原告に支払つたことは認め、その余は否認する。

(二) 同(二)の事実について、(1)の主張は争う。(2)のうち、被告社員が原告に自動車損害賠償責任保険の査定基準について説明したことは認め、その余は否認する。(3)は不知。(4)のうち、被告社員が原告に自動車損害賠償責任保険の死亡保険金請求書類用紙を交付したこと、原告が正之と示談し、金一七〇〇万円を支払つたことは認め、その余は否認する。(5)は認める。

(三) 同(三)の事実は否認する。

三  抗弁(過失相殺)

本件事故現場は、歩車道の区別のある車道幅員六・八メートルのアスフアルト舗装された県道上で、横断歩道から四・三メートル朝霞市方面に寄つた地点である。右横断歩道手前には車両用信号機と歩行者用押しボタン式信号機が設置されており、その手前は浦和市方面に向かう幅員五・二メートルの道路とT字路に交差している。

小谷野は、加害車を運転し、岡の坂交差点から朝霞方面に向け、制限速度時速四〇キロメートルのところを時速三〇キロメートルの速度で走行していた。小谷野は、前記横断歩道手前三〇メートルの地点で対面信号が青であることを確認し、左方道路からの走行車両の有無に注意しながら右横断歩道付近まで来たところ、交通渋滞のため停止している対向車両の間から範子が斜め横断してくるのを直前に発見し、急制動の措置をとつたが間に合わず、加害車左側面に範子が接触し転倒したものである。

範子は、近くに横断歩道があり、歩行者用信号が青になつてから右横断歩道を横断すべきであつたのに、車両用信号が青のまま横断歩道の間近を左方車両の進行を確認しないで斜め横断したものであるから、本件事故の発生につき過失があり、被告は八〇パーセントの過失相殺を主張する。

四  抗弁に対する認否

過失相殺の主張は争う。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証、証人等目録記載のとおり。

理由

一  主位的請求について

1  請求原因(一)ないし(三)の事実は当事者間に争いがない。

2  請求原因(四)の事実について

成立に争いのない甲第二三ないし第六四号証、乙第一六号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第三、第四、第六、第七、第一一、第二一号証、証人工藤正之、同仲勝信の各証言に弁論の全趣旨を総合すると次の事実を認めることができる。

範子は、本件事故のため、左脛骨骨折、左腓骨骨折の傷害を受け、事故当日の昭和五九年一〇月二〇日から昭和六〇年一月二五日まで入院した。前記骨折は骨が砕けるような形の骨折であつたため、骨の治癒及び機能の回復には比較的日時を要するものであつたが、整復術には成功し、退院時には創部の疼痛は殆どない状態であつた。

右傷害の回復は順調で、後遺症を残すことなく治癒する見込みであり、同病院の医師仲勝信は範子に対しその旨を説明してあつた。

範子は、その後同年二月二八日まで同病院に通院していたが、昭和六〇年三月二日午前三時ころ自殺目的で有機リンを含む毒物を飲用し、この結果、同月三日午前八時三四分死亡した。

そして、右事実によれば、自殺当時の範子の本件事故による受傷自体の症状は、さほど重度のものではなく、また、後遺症の虞れもなかつたのであつて、右肉体的、精神的苦痛は、自殺しなければならないほどの切迫した状況にあつたとは認めがたいところである。範子の自殺の動機がいかなるものであつたかは必ずしも明らかではなく、本件事故が一契機となつたことは否定しえないところであるが、前認定の傷害の回復状況に鑑みると、右自殺という結果が本件事故による範子の受傷から通常生じうるものと認めることは困難というほかなく、本件事故と範子の自殺との間に相当因果関係があるものと認めることはできない。

よつて、その余の点について考慮するまでもなく、主位的請求は理由がない。

二  予備的請求について

原告が被告に対し昭和六〇年一月二一日本件事故の保険金(治療費、看護料、休業損害等の分)を請求し、被告が同年二月二八日金一二〇万円を原告に支払つたこと、被告社員が原告に自動車損害賠償責任保険の査定基準について説明したこと、被告社員が原告に自動車損害賠償責任保険の死亡保険金請求書類用紙を交付したこと、原告が正之と示談し金一七〇〇万円を支払つたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第九号証、証人黒田昌浩、同松原忠克、同高篠勝正の各証言に右争いのない事実を総合すると、次の事実を認めることができる。

本件事故発生後、範子の傷害に対する補償につき、原告の車両課長松原は被告狭山支店支店長吉川及び同主任川久保の指導、助言を受けつつ、正之らと交渉していた。

ところが、昭和六〇年三月二日範子が自殺したことから、本件事故の補償問題につき、新たに善後策を講じる必要が生じ、原告側の求めにより、同月五日被告所沢サービスセンターにおいて、原告側からは高篠、松原が、被告側からは山県、黒田、吉川、川久保がそれぞれ出席して協議をした。

その際、黒田は、自動車損害賠償責任保険損害査定要綱実施要領(乙第九号証)に基づいて、損害認定の査定基準の概要について原告側の出席者らに説明し、本件事故と範子の自殺との因果関係の認定が困難な場合であつても、五〇パーセントの減額がなされたうえで保険金の支払がなされる場合のあることを述べた。

ところで、松原及び高篠は、右協議の席上、黒田が本件事故につき自動車損害賠償責任保険から死亡保険金限度額の半分である金一〇〇〇万円が確実に支払われると述べた旨証言する。しかしながら、本件事故と範子の自殺との間に相当因果関係の認められないことは前認定のとおりであり、損害保険会社の損害査定部門の担当者である黒田において右保険金一〇〇〇万円の支払が確実になされるものと認識していたと考えることは困難であつて、松原及び高篠の前記証言は、黒田の反対趣旨の証言に照らし、たやすく措信することができず、他に黒田が高篠ないし松原に対し自動車損害賠償責任保険の死亡保険金一〇〇〇万円が支払われることは確実である旨の助言をしたとの事実を認めるに足りる証拠はない。そして、黒田が、本件事故と範子の自殺との因果関係の認定が困難な場合であつても五〇パーセントの減額がなされたうえで保険金の支払がなされる場合のあることを述べたこと自体には、なんらの過誤も認められない。

また、自動車損害賠償責任保険契約の付随的義務として、保険者に、被保険者に対して保険金請求権の認められる範囲について正確に指導、助言する義務が存するものと解することはできないから、右義務の存在を前提とする、原告の債務不履行の主張も、失当といわざるをえない。

よつて、被告に、債務不履行責任ないし不法行為責任を求める予備的請求も、理由がないものといわざるをえない。

三  結論

以上の事実によれば、その余の点につき判断するまでもなく、本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡本岳)

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